ついにこの時がやってきてしまいました。
阪急名物(?)だった方向板使用車の運用が終了。
本日、最後まで残った3077Fが正雀へと回送されました。
いちばん最近撮った3077F。確か、1000系デビューの日でした。
今津北線から板車が去ったのが2011年9月23日。
そこから箕面、伊丹両線の板車置き換えが始まり、
箕面線からは昨年6月3日に撤退。
そしてついに本日2月24日、伊丹線に残った3077Fが正雀に廃車回送されました。
この3077F、なにかと特別な編成でもありました。
まずは編成構成。
塚口←3077-3611-2076-3100→伊丹
3000系、3100系、2071系の3車種の混合編成でした。
そしてこの構成の経緯。複数の編成と関連があります。
全ての車両が、表示幕改造を受けた編成の中間からの出身であること。
#3077は、3076Fから。残り3両は3150Fからです。
よって、4両とも側面には方向幕が整備されているので、純粋な未改造車ではありません。
(表示は「伊丹ー塚口」固定でした)
両先頭車とも中間に封じ込められていたのが復帰したもので、整備状態の関係から本来先頭に出るはずだった#3151と3076Fの#3077が差し替えられています。
3000系のトップナンバー、#3000は3050Fの伊丹線転用によってつい先日に編成から抜かれましたが、3100系のトップナンバーである#3100は最後まで先頭車として残る結果となりました。
ちょっと前まで2本在籍していた板車が、たった20日ほどの差で2本ともいなくなってしまってゼロになってしまうと急に寂しくなりますねー…
当たり前のように走っていた「阪急の象徴」が消えてしまい、なんだかしみじみと感じてしまうものがあります。
この一連の置き換え劇は、「非表示幕」の3000/3100系が、「表示幕の付いた」3000系に置き換えられるというものでしたが、次の置き換えからはいよいよ異形式同士の世代交代劇に変わります。
「団塊の世代」を抱えた阪急の新車ラッシュが始まろうとしています。
些細な日々の記録を続けていきたいですね。
就活で憂鬱な日々が続くなか、そんなことを思いました。