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各駅停車の行先は… 鉄道旅行記中心のブログです。

北陸の古豪に会いに。

IRいしかわ鉄道(旧北陸本線)の津幡駅から分岐するJR七尾線

この路線の電化開業から今までを走り続けてきた

415系800番台交直流電車が本日を以て姿を消します。

 

113系として製造されてから半世紀以上。

北陸の地を20年以上駆け抜けてきた彼らの引退の知らせに、

いてもたってもいられなくなり、

コロナ渦ではありますが対策をしつつ会いに行ってきました。

 

 

七尾線の分岐駅、津幡に到着。

 

輪島塗をイメージした赤色塗装の413系が入線してきました。

七尾線415系800番台と共に運用されています。

この編成の前から4両目に注目。

 

他の車両と車内や扉配置が異なります。

この車両、実は455系急行型電車で最後の生き残り。2両が存在します。

 

車番もしっかりクハ455。

そもそも413系がそれら急行型電車の車体更新で生まれた車両で、

改造されずに残った車両ということですが、この車両も純粋な先頭車ではなく、700番台の車番がそれをこっそりアピールしています。

複雑ですね。

 

 

さて、私はめったに沿線に出て撮り鉄をしないんですが、

何年ぶりかに撮影地に赴きました。

 

 

津幡駅から歩いて10分少し。

IR線と分岐してすぐの交直デッドセクション付近で撮影です。

前日までかなり寒かったようですがこの日は暖かく、

雪はほとんど溶けてしまっていました。

 

 

到着してすぐに列車が通過しました。

 

観光特急『花嫁のれん和倉温泉行き

キハ48の魔改造特急です。

これを練習電に本番は次の列車。

 

 

やってきました。

 

 

 

 

415系800番台の普通列車です。

切り位置めちゃくちゃ失敗したのでトリミングしてますが…

交直デッドセクション通過中で片目点灯!

雪国の交直列車たる写真が撮れたので良しとしますか。

 

 

 

同じャCントで反対方向も。こちらは6両編成!!

障害物はありますがこちらの方がうまくいった感。

 

 

続行の特急『能登かがり火』も。

681系も片目点灯になるんですね。

ダイヤ改正後、『能登かがり火』は3連が基本となるようで。

 

デッドセクション区間を示す標識と。

これもなかなか撮れませんね。

 

これだけ撮って撤収しました。

 

 

津幡駅に戻るとダイヤ改正後から運用に入ると思われる

521系の新車が走り込みを行っていました。

10月から一部が運用しており、津幡までもそれに乗車したところです。

ダイヤ改正後、七尾線普通列車521系に統一されます。

車載型のIC改札機を搭載し、ICOCAの利用が始まります。

和歌山線と同じパターンですね。

 

 

 

七尾線普通列車に一往復乗車します。

 

やって来たのは413系

 

413系は3両編成が11本在籍していますが、

2015年3月の北陸新幹線開業に伴って5本が並行在来線のあいの風とやま鉄道へ譲渡され、残り6本がJRに残留したものの旧北陸本線の運用からほぼ撤退して七尾線の運用へ入るようになったことから数本の415系800番台が置き換えられています。

七尾線内の運用は415系800番台と分けられているようです。

 

津幡駅を出発してすぐにデッドセクション区間を通過。

電源切り替え中、車内灯は非常灯を残して消灯します。

 

JR七尾線は直流電化。

交流電化でも良い気がするのですが、地方交通線である故に建設規格が低く、

電圧の高い交流電化に対応できずにそうなった過去があるようです。

電化開業は国鉄からの民営化後すぐ。

セクションを設けたため交直流電車を用意せざるを得ませんでしたが、

交直流電車の新規製造は高価。しかしそこには余った113系

交流機器を使用していない485系がおり、

113+485=415+183 の方程式によって415系800番台が爆誕することとなりました。

(↑毎回思うんですけどこの数式、偶然にしては出来すぎてますよね)

 

413系のドアは半自動取り扱い時は手動です。

415系800番台は近年の改造でボタン式開閉になっており、

ドアを手で開けて降りる光景は413系でしか見られません。

 

七尾線能登半島をまっすぐ北上する路線で比較的線形が良いです。

国鉄型車両でも100km/h近くまで飛ばすため、良い走りといい音を体感することができます。

 

413系は急行型電車の車体更新車ですが、座席などあらゆる部品は種車からの流用が多いです。座席数は近郊対応のため減らされていますがクロスシートはそのままです。

 

デッキは廃されていますがクロスシートの並ぶ車内は急行型と似た雰囲気を残しています。

 

約1時間半の乗車で七尾駅に到着。

ダイヤ改正後の七尾線521系に統一されるため、沿線には撮影する鉄道ファンが多く見られました。

 

形式写真的に。中間のモハ412。

冷房は集中冷房が搭載されています。

 

クハ412側から編成写真。

両先頭車は分散冷房が搭載されています。

この編成はBー06編成。

413系としては34年、更新工事が行われているとはいえ

一部走行機器は58年近くの長い活躍でした。

JR西日本の編成は転用先がないことから廃車となることが予想されます。

 

 

七尾線を完乗すべく和倉温泉まで向かうも

スケジュールの関係でのと鉄道線へは向かわず七尾に戻ってきました。

 

 

 

帰りはもちろん415系800番台。

 

乗車するのはCー10編成です。

 

415系800番台は、JR西日本黎明期に電化された七尾線のため、

近畿各所から集められた直流近郊型電車113系と、直流電化区間内で運用されていた485系交直流特急型電車から抜き取った交流機器を使って生まれた改造車。

本家415系との関係はありません。

3両編成のため、構成は七尾方からクモハ+モハ+クハ。

クモハは全車が先頭車化改造車で、すでに改造されていた福知山の800番台から。他はほぼ全てが0番台で、寒冷対策車の113系800番台の種車も全車が0番台であるため、

結果、種車の全てが113系製造初期の0番台である。

残存している車は全てが製造から50年を超えています。

 

3両編成11本が用意されてほぼ七尾線一筋で運用されてきましたが、

近年北陸本線から転用された413系や新造された521系によって

一部が既に置き換えられています。

521系が先行投入された2020年10月以降、日中の運用がかなり少なくなっており、

時間を合わせるのに苦労しました。

 

中間のモハ414ー810の種車はモハ112ー15。

製造は昭和39(1964)年。製造から57年を迎えています。

調べると製造時は横須賀線を走行していた車両で、

鎌倉→宮原→高槻→網干→鳳→日根野網干→金沢

と、渡り歩いた車両です。

この車生の半分以上を415系として金沢で過ごしています。

 

交直流電車特有のごちゃごちゃな屋根上。

変圧器が鎮座しています。

 

扉を半自動としたときに手動だった名残の大きい取っ手。

奥に現在使っている開閉ボタンが見えます。

 

側窓は113系初期車特有のR付き非ユニット窓です。

 

クハ415側の外観。

 

車内のクロスシートはシートピッチの拡大された特大バケットシートに交換されています。

 

登場当初、急行『能登路』の運用もあったようです。

 

シートピッチが拡大された分、扉脇の座席は廃されているため、

着席定員はガタ減りしています。

 

モハのパンタグラフ下は低屋根構造となっているのも特徴。

 

車端部はロングシートとされ、クハにトイレを設置。

 

トイレ前の座席のみ取り替えられていません。

 

七尾駅を発車。七尾駅には留置線があり、413系が停泊しています。

 

灰皿の撤去跡。

 

少し雪の残る能登路を駆けます。

 

非ユニット窓から車窓が見えます。

 

走行中の車内の様子。

 

デッドセクション通過中。

やはり車内灯が消灯します。

521系は消灯しないため、この光景もこの区間では見納めです。

 

電源が入り車内灯が復活します。

 

約1時間半、還暦目前とは思えない走りを堪能し、金沢に到着です。

 

 

 

北陸線521系との並び。

金沢駅に乗り入れる国鉄型の電車は今後、あいの風とやま鉄道の413系のみとなります。

 

3両編成の入庫と入れ替わりに6両編成が出庫してきました。

夕方ラッシュの始まりです。

 

目立つ黄色地の方向幕。

他の国鉄型はつらら対策で方向幕窓を塞ぐ中、

415系800番台は手巻きの方向幕を一貫して使い続けてきました。

 

2編成つないだ夕方の輸送力列車。

編成単位が2連となることで、七尾線普通列車も最大4両編成へと減車される見込みです。

 

1964年の東京オリンピックの輸送を支えた歴戦の車両も混じる415系800番台。

二度目の東京オリンピックはあと少しで迎えられなかったけれど、

関東や関西での都市圏輸送、そして七尾線の主として長年地域輸送を支えた功績は

大きいです。彼ら自身も改造直後はこんなに長い活躍になるとは思わなかったことでしょう。

 

 

本当に長い間、お疲れ様でした。

そして、521系に引き継がれる新しい七尾線に期待ですね。