2015年初投稿です。今年もよろしくお願いいたします。
この4月から社会人とか信じられないわけで…
さて、珍しく冬期間の18きっぷ3日分を中古で購入し、友人と東京からの帰りに使用した後の余りで広島に行ってきました。
32年ぶりの新型車両となる227系導入を間近にひかえている広島。
検測様の運用予測掲示板から情報をお借りし、会いたい車両のターゲットを限定できたので日帰りでも有意義に過ごすことが出来ました。
今回は、【国鉄編】と【路面電車・バス編】にわけて報告します。
広島に18きっぷで向かうのは約2年ぶり。
今回は始発に乗らずに、朝一番の新快速で西へ向かいました。
糸崎。まあ黄色い。広島L編成と岡山B編成が見えます。
手前の117系に岡山から乗ってきました。
サンライナーが減ってから普通列車での運用でよく見るようになった気がします。
一番奥は元セキC-42編成の生き残りであるR-07編成。
0番台黄チ●ビクハですが元気にやってるようです。
三原から呉線回りでさらに西へ。黄色い。
途中の竹原では『マッサン』効果か多数の乗客が下車。
『たまゆら』のころはそうでもなかったのに、連続テレビ小説は偉大、といったところでしょうか。
そして、広から先はこれ。
103系D編成による快速『安芸路ライナー』にもう一度乗りにきました。
というのも、3月のダイヤ改正プレスリリース内に227系についてふれられており、
とされており、この103系が真っ先に置き換えの対象となることが推測できるためです。
ちなみに、227系は3連と2連の組成。
103系D編成が広島唯一の3連組成であること、独立した運用で、かつ長距離運用がないこと、快速運用であることなどが導入最初の運用になる決め手になったのでしょうか。
いずれにせよ、広島最後の103系が見られるのはあと少しのようです。
乗車したのは5639M。安浦ループの運用で、D-03編成でした。
かるが浜で対向待ちをするなど、下りは俊足とは言えない走りであるものの、単線区間を爆走する走りは豪快でした。
広島駅は新跨線橋が供用開始されていました。
広島地区にもラインカラーと路線アルファベットが導入されますが、覚えづらそう。
うーん、なんか違う駅みたい。
227系は可部線には少し遅れて投入されるようで、ほんの少し余命が延びた105系4扉車。
でも、入ったら確実に真っ先に置き換えだよなあ…
「常磐緩行線の先々代の車ですー」
東京の人「えっ? えっ!?」
広島に来てよかったね。
末期色化はさすがに発動5年目ともなるとかなり進捗していて、
3000番台を除いてこの塗色が過去帳入りするのもそう遠くなさそうな気配です。
そして。
山陽路最後の瀬戸内色となってしまった115系C-41編成。
編成自体も両端0番台クハ、上り方は特大バケットシートという貴重なもの。
幼少期を広島で過ごしたtakapureにとって、広島の電車といえば、であるこの塗色がなくなるのは本当に寂しいです。
クハ115-165のバケットシート。乗りたい(金沢に行け)。
4年前に会ったときよりも補修跡が増えて痛々しくなってます。
下り側クハは広島の115系純正クハの最古参。
有終の美を飾るその時まで、この塗色でいてくれることを願います。
時間が合えば、大島大橋とかから撮りたかった。
今回、他の初期車を含むC編成やH編成は昼間、ごっそり山口県内で働いていたようで、会うことはかないませんでした。
塗色の謀反といえばこの編成。セキR-04編成。
元113系である先頭車が30N更新車であるにも関わらずに中間モハに合わせた瀬戸内色で出場して話題になった編成ですが、この組成となった最初の検査であっさりと黄色に塗り替えられてしまいました。
R-04編成の瀬戸内色は2年にも満たなかったのでは?
乗車電の次の安芸路ライナーで広島に着いたヒロD-01編成。
両先頭車のクハ、クモハ共に103系の純正最古という骨董品もとい産業遺産。
そんなのが快速でぶっ飛ばしているから、広島はやめられない(謎)。
ただしこれもあと少しの活躍。
国電観察はこれくらいにして、街に出ました。
そのパートは別記事にて。
乗りバスに時間を割いたので夕方の撮影はしませんでした。
帰りはいつも通り374Mからの乗り継ぎ。
L編成運用なのに2ダァのN編成が来て、民族大移動と遅延を巻き起こしていました。
広島駅の乗車位置案内って、所定の運用をもとに表示されるんですね。
おかげで福山からのサンライナーの走りが本気でした。
岡山以東の帰りはなぜか湘南色づいているtakapure。
2年前は4連A編成だったのに3連D編成運用になってた1338Mは、湘南色のD-26編成でした。
次は、ダイヤ改正直後にでも足を運びたいです。