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各駅停車の行先は… 鉄道旅行記中心のブログです。

惜別 3100系。

新車投入の続く阪急電鉄

あおりを受けて、またも古兵の一派が姿を消しました。

 

その名を「3100系」。

おそらく阪急一地味な形式であった彼らに、私は大変お世話になりました。

そんな彼らの存在を振り返ります。

 

 

 

3100系は、3000系の宝塚線向け低出力バージョンとして

1964年から1967年までに40両が製造されました。

しかし、低出力であったが故に早期に本線から退き、表示幕取り付け改造がされたのは3本にとどまりました。

全数在籍が崩れたのも早く、1996年に3156×4Rが能勢電鉄に譲渡(現3170F)、

1998年にラストナンバーの3161F×3Rが甲陽・今津南線のワンマン化に伴い余剰廃車となるも、

それ以降は全車が今津北・伊丹・箕面各線に在籍し、2012年まで動きはありませんでした。

 

箕面線の主であった3158×4R。

やはりオリジナルは行先表示板のこのスタイル。

トップナンバーのC#3100は伊丹線にいました。

本線時代は表示幕車の3150Fに組み込まれていたため、側面に表示幕が整備されていました。

これら非表示幕車の最末期であった2011年から2012年にかけて箕面線伊丹線で車両の入れ替えが行われ、一時期だけ伊丹線の所属車が(性能的に)3100系に揃えられたことがありました。(3077,3150,3157.3159,3160)

 

9000系投入のあおりを受けて2012年より非表示幕車の廃車が始まり、2013年度内に3000系もろとも非表示幕車は全廃されてしまいました。

 

そうして残ったのは表示幕改造された3本。

伊丹線の3150×4Rと、今津北線の3152,3154×6Rでした。

学生時代を今津北線沿線で過ごした私は、今津北線の2本には特にお世話になりました。

この路線にはいつも彼らの姿がありました。

たくさんの沿線住民、通勤通学客を、時には競馬観戦客を乗せ、

たまにはイベントヘッドマークを着飾って、片道14分の路線をひた走る。

3000系と比べるとややふんわりした優しい走りが大好きでした。

3100系が一番似合うのはこの路線だと、私個人的には思います。

私がこの路線を離れてからの出来事で、ほんとはまだ走り続けてるのではないかとさえ思ってしまいますが…

 

2016年に入ってからまず今津北線の2本が相次いで運用離脱。

3152Fの方は機器トラブルから復帰ならずしての離脱だったようで残念です。

そうして本当の最後の編成となった3150×4Rには、

はなむけのヘッドマークが取り付けられました。

伊丹側に「惜別」塚口側に「おつかれさま」と書かれたヘッドマークを掲げ、1か月弱を走行。

予定通り7月8日までの運用を終え、編成としての阪急3100系は52年間の歴史に幕を下ろしました。

 

神宝線の支線の主ともいえた3100系のこれまでの活躍に敬意を表します。

50年以上の長きにわたり、おつかれさまでした。

 

さて、いち早く阪急を離れた能勢電鉄3170Fはまだまだ続投の模様。

そして、阪急車においても唯一T車C#3651が3052×4Rに組み込まれて運用中。

ということでまだ形式消滅ではありません!

 

能勢電鉄で旧2100系の1500系が先に姿を消したように、3100系が先にいなくなった今、

次の淘汰対象は間違いなく3000系です。

残るは今津北線に6連が3本、伊丹線に4連が4本のみです。減ったなー…

最後の活躍が、少しでも長く、平穏に続きますように。