現在の阪急電車のスタイルを築いた車両の一つであり、優れた車両に贈られる鉄道友の会ローレル賞の第一回受賞車両でもある名形式、2300系の定期運用が終了しました。
阪急電鉄にとってかなり久しぶりの、編成単位での形式消滅となります。(保存車除く)
2300系について、自分なりに追いかけた記録などをまとめました。
2300系は1960年から1967年にかけて78両が製造されました。
それまでのゴツゴツしたものから一新された直線的なデザインの意匠は、現在最新の1300系に至るまで受け継がれています。
登場から55年が経過し、旧梅田駅や天神橋ターミナルを知り、さらには開業前の東海道新幹線の路盤を走行したこともある、これまでの阪急の半分の歴史を知る生き証人でもありました。
また、神宝線と同じ車両規格であることから、それぞれの路線や山陽電鉄須磨浦公園駅までの乗り入れ経験を持つ車両もありました。
2300系の登場当初は標識板を利用したこのスタイル。
登場から、特急用車両2800系登場までは2枚看板で特急運用にも就きました。
初期の車両は表示幕設置改造の対象から外れ、うち2301,2303,2309の各編成は嵐山線で余生を送りました。
この2309×4Rは京都線系統最後の標識板を使用した車両となりました。
2005年、2301Fの引退イベントには参加した記憶があります。
もう10年が経とうとしているんですね。
2301,2303Fの後継として、2319,2323Fが本線から転入した時期がありましたが、2010年春に6300系に置き換えられました。
コンデジを使っていたころの数少ない沿線撮り。
ちょうど、6300系が本線を退くころでした。
2010年春、摂津市駅開業も難なく迎えた2300系。
2800系、6300系と走行距離のぶん傷みやすい特急用車両が先に引退してしまったとはいえ、それでも2300系がこれだけ長持ちした要因として、1980年前後の制御機器更新が挙げられます。
7300系に準じた界磁チョッパ制御となり、そのときに、登場当初に人工頭脳と呼ばれた定速運転機能が撤去されている。
しかし、主電動機はあくまでそのままなので、そこはいかに阪急の整備が良かったか、ということにあります。
2300系の特徴といえば、他の京都線車両よりひとまわり小さい車体と、
とっても大きな菱形パンタグラフ。
そして、各ドアに取り付けられたドアステップでした。
このように、3300系と並ぶと車体幅の違いがよくわかります。
また、2300系はドアスイッチが高い位置にあるため、車掌のドア扱い時の姿勢が独特でした。
これは3000,3100系も同じです。
運転台。各計器の間に独立して動作ランプがありました。
左側の各知らせ灯の形もレトロです。
8000系列までほとんど変わらなかった内装もこの形式から。
ドアのない車両間広幅貫通路は阪急線で見納めになります。
乗り心地の面でいうと、座面の低いふわふわ座席に座っている人たちが、金属ばね台車特有の縦揺れでバウンドする楽しい車両でした(^^)
重たいためか横揺れはそんなに感じず、ブレーキ時の電制から空制への移行もスムーズで、乗りやすい車両でした。
そんな2300系は2014年を迎えた時点で7両編成4本が在籍し、準急運用や日中の梅高梅千運用で活躍していました。7両編成であるのと、車体幅の関係で堺筋線には乗り入れません。
1300系の投入開始後の置き換え劇はあっという間でした。
2321×7R。
2321-2341-2391-2371+2316-2336-2366
1300×8Rデビューによって、2013年度末で運用を離脱しました。
検査切れが近く、かなり色褪せた状態で最期を迎えました。
保留車になることもなくあっという間に解体されてしまったのですが、
1300系の初期故障が酷く、また7300系が相次いで更新入場していたこともあって一時期京都線の車両が不足する事態となりました。
2325×7R。
2325-2345-2395-2375+2318-2338-2368
こちらは1300系の故障予備として3300系の編成組み換えが待たれたためか、1301F投入後もしばらく走り、2014年12月に運用を離脱しました。
2315×7R。
2315-2335-2365+2320-2340-2355-2370
この編成はなかなかの幸運の持ち主。
2007年ダイヤ改正で7連運用が削減された際、運用を離脱して桂車庫で休車となっていた時期がありましたが、奇跡の復活を遂げた編成です。
また、最古参車であるC#2355を付随車として組み込む特徴ある編成でもありました。
2015年3月10日。奇しくも箕面有馬電気軌道の開業日が最終運用でした。
そして、最後に残ったのが2313×7Rでした。
2313-2333-2363+2322-2342-2392-2372
最後の検査出場が2013年12月。
このときは2014年度中の引退になるとは思ってもいませんでした。
1000系増備の方が急務なんじゃないかと勝手に思っていたものです。
1300系は既に4本が投入され、今年2月、2300系の年度内での引退と、引退記念装飾運行のプレスリリースが発表されました。
そして、引退記念運行が始まりました。
装飾内容は、現行社章の撤去と旧社章のステッカー再現。
これだけでもよかったんですが、前後に異なるヘッドマークが掲出されました。
それでも約1ヶ月間、多くの人に見守られながら、通常通りの運用をこなしました。
特急標識を模したさよならヘッドマークは京都方に取り付けられました。
定期運用最終日。
予定通りの3月20日でした。
いつも通りの普通運用。昼過ぎに正雀にて取り替え入庫となる運用でした。
それだけでは終わりません。
第一回ローレル賞受賞、阪急スタイルを築いた名車の最後を飾るべく、3月22日にラストラン貸切列車が運行され、正雀と河原町を一往復しました。
運行終了後、車庫内ではラストラン参加者とファンクラブ(?)向けに撮影会が開かれていました。すっぴん姿もそうですが、引退記念ヘッドマークの他、ローレル賞受賞のヘッドマーク(おそらく標識板車用)も取り付けられていました。
車庫内で、最新の1303Fとの共演。バトンを受け継ぎます。
イベント終了後、入換が行われました。
そして、ひとまず普段通りの位置へ。
いつもと変わらない光景ですが、もう本線に出ることはないんです。
右に写る2301ほか2連は何を思うのでしょうか。
新車の誘導障害試験用の事業用車と化しているこの2連ですが、この日のためにお色直ししてほしかったものです。
それはさておき、半世紀以上の長きに渡って本当にお疲れ様でした。
いつ乗っても元気だったので、いなくなるのが信じられないです。
いまの阪急をつくってくれてありがとう。そして、さようなら。