Local bound for…

各駅停車の行先は… 鉄道旅行記中心のブログです。

九州縦断破天荒旅行記【2019年9月】⑤

2019年9月の九州縦断旅行記。三日目の模様をお届けします。

今回の旅の主目的はJR九州のローカル線であり観光路線の

肥薩線】【指宿枕崎線】【日南線】に乗ること。

 

台風の影響を考え日程を前倒し・繰り上げして肥薩線

指宿枕崎線をクリアし、残すは日南線

 

天候悪化のため、もはや乗るだけになりそうだが、

はたして乗車は叶うのか?

そして、関西に帰れるのでしょうか。

 

 

再び当日の天気図を拝借して。

 

おうおう。来とる来とるわ。

九州ががっつり強風域に入り、なんなら暴風域もかすろうかというところ。

台風の東側のため、影響も強く受けるはず。

 

朝、テレビをつけて気象予報で絶望。

とりあえず駅に向かうことに。

 

朝の都城駅。まだ小雨が降るだけの状態です。

 

本日の運転予定が公開されていました。

 

九州の西側の多くの路線が軒並み午後や夕方以降運転見合わせへ。

その中で日南線12時以降運転見合わせとありました。

 

昼までは動いてくれる!

 

JRを信じて組み直した予定通りの乗車を決めました。

 

 

日南線の終着駅である志布志まで、かつて都城から(正確には西都城から)国鉄志布志線が延び、国分からの大隅線と合わせて志布志は一大ターミナル駅でした。

 

今回は鹿児島交通が運行する志布志線の廃止代替バス志布志へ向かいます。

 

都城駅8時02分発の志布志行きは中型バス。

私以外に利用者は一人だけ。(まあこんな日は普通出ない)

 

この代替バス都城志布志通しの便は1日3.5往復しかありません。

しかし、区間便や他系統からの乗り入れを合わせると本数はそこそこ増えるため、

単に通しの需要がないだけなのかもしれません。

途中にも集落は点在していました。

志布志線自体は最末期でも10往復あったそうです。

 

1時間20分ほどで志布志駅に到着。

列車への連絡時間は5分ありません。

見たいものはいろいろあったのですが、またの機会に。

 

敷地は広めですがもはや1面1線しか使っていないホームに単行ディーゼルカー

乗務員氏に旅客が何やら質問しているようです。

 

会話の内容から察するに「終点までちゃんと行けるか」ということだったようですが、これには乗務員氏も確信を持っていない様子でした。

 

ワンマン運行ですが添乗されるようで乗務員は二名。

だって、二人で「これ、行けますかね〜〜wwwww」みたいなこと言ってたもん。

 

色あせた駅名標

 

私は達観しているので乗り込みます。

 

志布志9:30→油津10:39 日南線 油津行き

 

さっきの家族連れは悩んだあげく乗車しなかったようです。

代わりに、こんなタイミングでどこ行くねん風の麦わらかぶったおじいさんが一人乗り込み、乗客二名で志布志を出発です。

 

志布志を出てまもなく列車は海岸に近づきます。

雨が強くなりせっかくの景色はこの有様。

海沿いながら徐々に高度を上げ始め…

 

…るところで列車の速度が緩まり、ついに立ち往生してしまいました。

乗務員氏の不安は的中。降雨による空転のようです。

 

床下からうぉーんと聞こえるものの重たい車体は進みません。

 

5分程度立ち往生したのち、最徐行(というか速度が出ない)で運転再開。

そこまで登りが続くわけでもないのでじりじりと登ってしまう作戦のよう。

 

日南線沿線沿いの海岸は入り組んだ海岸と背後にすぐ迫る山々で

予想を遙かに超える険しい地形をしています。

 

晴れていたら絶景であっただろう景色を横目に列車は進みます。

 

日南線は最履修確定ですね、はい。

 

途中にもう一度停止寸前にまで速度が落ちた区間があり、

油津には10分の遅れを出して到着しました。

宮崎行きは接続待ちをしてくれていました。

 

(定刻)油津10:43→宮崎12:05 日南線 宮崎行き

乗り継ぎの宮崎行きはキハ47形の2両編成。

時間的に本日最終の上り列車でしょうか。

 

接続列車も6分ほど遅れて油津を出発。

再び雨・風ともに強くなってきました。

2両編成のため、列車は快調に進んでゆきます。

 

内海駅

日南市付近の日南海岸リアス式海岸

地形も険しく列車は内陸に入っていって意外にも海沿い区間は少ないです。

名所として知られる堀切峠が有名ですね。

 

青島駅

ヤシの木が大きく揺れています。

天気が悪くなければすぐ近くの青島が有名観光地ですが、

もはやそれどころではありません。

 

子供の国駅

古くからある遊園地でしたが、現在は多くの遊具は撤去されて

大きな公園になっています。

それでも海岸沿いに整備された公園は南国感が楽しめる美しいものです。

まだ遊園地だったころ、花火大会に来たなあ…

 

なんてさっきから日南線沿線を少し詳しめに語っていますが、

宮崎って自分にとって第二のふるさとなんですよね。

親戚の家があり、しばらく毎年夏に帰省していました。

人もあたたかいし、食べ物もおいしいし、晴れていれば魅力的な観光地がたくさんあります。

陸の孤島と呼ばれ、確かに交通は不便ですが、

みんなもおいでよ宮崎。すてきなところです。

 

カメラが雨粒にしかピントを合わさなくなりました。

宮崎近郊の田園地帯を疾走します。

 

風のためか田吉駅付近で停車・徐行をしたため

また少し遅れを出しながらも無事に南宮崎駅に到着。

快速日南マリーン号などに使われる末期色のキハ40が見えます。

 

列車はなんとか宮崎まで直通してくれるようで、

大淀川橋梁を渡ります。めちゃめちゃ水位が上がっています。

 

12時11分、6分ほど遅れて宮崎駅に到着。

 

発車案内が大変なことになっています。

今が何時かわかりません。

 

日豊本線上りは延岡よりも手前、日向市までの運転に。

状況は朝の情報よりも悪化しているようです。

 

となりは特急きりしま11号鹿児島中央行き。

本日最後の鹿児島行き特急として案内がされていました。

 

帰りの飛行機は鹿児島空港から20時40分の便。

鹿児島に戻らなければならないのは分かっていたのですが、

着いて10分そこそこ、お昼も食べていなかったし

すぐに宮崎を離れるのが名残惜しかったので

この列車には乗車しないという選択をしました。

 

少し経って冷静に考えると、

列車で鹿児島に行く手段を失ったと改めて気付きました。

そりゃそうよ。

 

運転再開の見込みはありません。

 

 

 

雨が小康状態であったため駅舎の外へ。

宮崎駅前は新しい商業施設開業の準備でまた綺麗になりつつありました。

 

宮崎交通の路線車はあたりまえのように

いすゞのLRや、

 

日野の丸目レインボーなどが見られます。

 

 

親の実家があったあたりに行こうかとも思いましたが、

 

 

 

ものの数分で外は暴風と豪雨で荒れ模様に。

そうです。台風ですから。

 

 

 

 

 

駅からの外出さえも断念せざるを得なくなりました。

 

 

 

 

こうなってくると、宮崎にいてもできることはありません。

 

 

泣く泣くバスの案内所に駆け込み、鹿児島行きの高速バスに飛び乗ることになりました。

 

宮崎交通高速バス はまゆう号 鹿児島行き

3時間弱で鹿児島に到着です。

 

時刻は17時過ぎ。飛行機まで3時間です。

帰る方法を見極めるために鹿児島中央の駅へ。

いまのところ飛行機の欠航案内はありませんが、不安があります。

 

九州新幹線、運転見合わせ。

直近の便は強風で運転見合わせ決定。以降は未定とあります。

 

 

飛行機が欠航となった場合、帰れない可能性が出てきました

 

 

頭ぐるぐる。

これはいち早く飛行機の運航状況を確認し、だめならば駅に戻ってこよう

ということで、早いですが空港へ向かうことにしました。

 

 

飛び乗ったのはキハ40の列車。

国分行きという案内があったのに、乗ったら肥薩線吉都線回りの都城行きでした。

日豊本線が国分以東の終日見合わせを決めているため、都城への裏ルートとなり得る列車です。

 

 

 

 

写真はありませんが、

驚いたことに鹿児島で行き違い待ちを行った列車が

宮崎で見送った特急きりしま11号でした。

途中で雨規制による抑止があったようで、宮崎を出て5時間以上かけて鹿児島へたどり着いたようです。

お昼も買わずにもし乗り込んでいたら大変な目に遭っていたことでしょう。

 

 

日がすっかり落ちた19時の隼人駅

肥薩線直通列車だったため、次の国分行きを待ちました。

 

 

 

隼人からは415系の普通電車で一駅先の国分駅へ。

国分から鹿児島交通の路線バスで鹿児島空港へ。

空港までキュービックで山を駆け上がるステキ路線でしたよ。

 

 

 

 

 

 

結論から言うと、関西には帰ることができました

 

しかし、空港周辺の視界不良のため、

一時期、東京行き一便、神戸行き一便、そして搭乗予定の関空行き一便に使われる予定の飛行機3機が空港上空で旋回し、降りてこられない場合は欠航となりますというアナウンスも流れて乗客一同、ヒヤヒヤしたものです。

そんな状況が30分以上続き、乗客一同、目は搭乗口の窓から見える滑走路に釘付け。

点滅する光と共に飛行機が下りてきたときには乗客たちから歓声が上がったのを

今でもはっきりと覚えています。

 

 

 

 

こんな状況下で、鉄道・飛行機・バスともに安全に運行してくださった

関係者の皆様には頭が上がりません。感謝いたします。

いろいろと貴重な経験ができ、自然と公共交通機関の関係性を痛感した今回の旅行でした。

 

 

 

 

九州縦断破天荒旅行記 【完】