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各駅停車の行先は… 鉄道旅行記中心のブログです。

とあるクハのお話

先日、広島への旅行記を書き終えた後で思ったこと。

広セキ115系のG2、G3、H1編成が登場。

昨年のにはC42も出てきたなぁ…

「ん? あの編成の写真って持ってたっけな?」

ということで探してみた結果、

見つかりました。

それもしっかり、あのクハの側から撮っていました。

皆さんご存知、

元広セキC43編成の下関方先頭車のクハ115-604です。

個性派揃いの広セキ115系初期車の中で、いわずと知れた「最凶クハ」でした←愛を込めて

写真は2010年1月撮影のものでした。

簡単にこの車の経歴を紹介。

1965年にクハ111-380として製造され、84年に抑速制御取り付けなど改造の上、115系編入、クハ115-604となりました。

大船、網干、岡山、福知山と渡り歩いた後に2004年に下関へ。

この車の注目される所以は特徴の多さでした。

113系からの編入改造車であることはもちろん、

簡易な冷房改造(冷風車)、

(元板付き)グローブ型ベンチレータ、

豊富な塗装変更歴(湘南→福知山→瀬戸内→リニューアル色)、←(当然この車は未更新)

全面強化のための鉄枠(鉄仮面)、

大目玉からのシールドビームへの簡易改造、

テールライトのクリアテール化…

これでもかというくらいの改造を受けた結果、超個性的なマスクに。

と、こんな車両だったのですが、

製造から47年という十分過ぎる生涯を全うして

8月に廃車解体されてしまいました。

実はC43編成の内、廃車されたのはこの車だけで、残りは新たなクハ(少しだけ新しい113系からの改造クハ)と共にR02編成として再出発しています。

経歴の長さ故に個性際立つ115系113系初期クハは残り十数両。

関西から転属してきた113系、によって置き換えられた広ヒロF編成のクハによって着実に置き換えが進んでいます。

記録はお早めに。

そんな彼らと共に、

いままでお疲れ様、ありがとう。

クハ115-604、君のことは忘れない。