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日高本線の旅。【道南旅行記②】

3泊4日の北海道旅行、2日目。

この日は、かつては長大だった絶景ローカル線、日高本線を旅しました。

鉄道としての存続区間と、廃止代替バスを乗り継ぎ、

廃駅を数駅巡ってきました。

 

※この記事の写真は全て安全な場所から撮影しています。

 

 

2022年9月4日 (日)

 

日高本線

まずは日高本線とはどういう路線なのか、振り返ってみましょう。

 


日高本線は、苫小牧から様似までを結ぶ146.5kmの長大なローカル線でした。

歴史は古く、1909(明治24)年に苫小牧から鵡川まで、沿線の王子製紙で使う

木材を輸送する専用馬車鉄道として開業したのが始まりです。

その後、王子製紙の出資する日高拓殖鉄道という軽便鉄道として静内まで延伸。

1927年に国有化後、狭軌の1067mm軌道へ改軌、延伸を繰り返して

1937(昭和12)年に様似まで全通しました。鵡川から日高町まで富内線も分岐し、

国鉄時代は『本線』を名乗るに相応しい規模の路線でした。

 

走る地域の地形の関係で海岸沿いを走ることが多かった日高本線

雄大な景色が楽しめることで有名でしたが、反面、長年、自然と闘ってきた路線で、

悪天候による土砂崩れや護岸浸食、橋梁流失による不通を何度も経験してきました。

2015年1月、爆弾低気圧の影響で高波被害を受けて鵡川~様似が不通となります。

1月下旬から被害の大きかった区間を除いた静内~様似の運行が再開しますが、

1ヶ月ほどで再び列車の運行がストップ。これが同区間の最後の列車運行となります。

不通の間、2016年に相次いで台風被害、2018年には最大震度7を観測した

平成30年北海道胆振東部地震と立て続けに災害に見舞われます。

当時、不祥事の相次いだJR北海道は経営の立て直しを迫られていた時期。

乗客の少なかった日高本線は時間と共に膨れ上がる復旧費を出されぬまま、

廃止の方向へと話が進み、沿線自治体の合意が得られた末に

2021年3月末日を以て鵡川~様似が廃止。

路線の大部分を失い現在は苫小牧~鵡川、わずか30.5kmを結んで運行しています。

区間だけ見れば創業当初の形に戻ったことになります。

 

今回は、そんな元の日高本線の半分ほどを列車と代替バスを使って巡ります。

 

 

苫小牧7時52分発の鵡川行きに乗車します。

キハ40の単行。日曜日ですので乗客はたったこれだけ。

 

苫小牧を出てしばらく、室蘭本線と並走します。

例の直線区間なので、キハ40でもけっこう飛ばします。

苫小牧貨物駅を挟み、8kmほど並走して沼ノ端駅の手前で右に分かれます。

 

広大な平野を走っているはずですが、線路脇を林が覆って景色はあまり見えません。

 

原野か工場か2択の景色は不思議です。

奥の大きな建物は日本製紙の施設。

 

ほどなくして最初の駅、勇払に到着。

残存区間では駅間距離が最も長く13kmあります。

奥の建物が駅舎なのですが、全盛期にはこの間にたくさん線路が多かったのでしょうか。

 

勇払駅の辺りがほんの少しだけ人気があったあとは再び原野を走ります。

勇払川を渡ります。

 

朝のキハ40の雰囲気が好きです。

 

沿線には野生動物も見えます。

線路に飛び出してくるのを見つけてなのか警戒してなのか

列車はところどころで徐行します。

 

石炭かなと思ったら本当に石炭でした。

北海道電力の火力発電所の脇を走ります。

 

次の浜厚真駅。『ヨ』の駅舎(待合室)です。

新日本海フェリー苫小牧東港の最寄り駅ですが、使っている人はいないと思われます。

 

浜田浦駅は通過で、次は終点の鵡川です。

 

林に囲まれたまっすぐな線路を進みます。

 

 

8時20分。鵡川駅に到着です。

鉄道として残った区間からは、日高本線らしさは感じられず、無難な区間が残ったといえるでしょう。

 

鵡川駅ホームに佇むキハ40。

かつては高出力で特別な塗装を纏ったキハ40形350番台が使用されていましたが、

路線が短縮されてからは一般的な1700番台が使用されています。

 

鵡川駅は構内踏切を挟んでホームが対の配置となっていますが、

駅舎から遠いこちら側のホームのみ使用されているようです。

 

鵡川駅より先は草むしてしまっています。

これより先に列車が入ることはもうありません。

 

列車は折り返し苫小牧行きとして準備中。

 

駅舎側のホームには柵が設置されていますが、出発するための乗務員への注意喚起の看板は残されています。

 

鵡川駅は鉄道とバスの乗り継ぎ拠点となったことから、『むかわ交通ターミナル』を名乗っています。無人駅ですが、待合スペースは広くとられています。

 

駅舎内には廃止区間のメモリアル的なポスターが。

日高本線にはキハ130形という軽快気動車が導入されていた時期がありました。

キハ40を置き換えコストダウンが図られましたが、小さな車体やデッキなし構造が

嫌われた他、塩害により普通鋼の車体の腐食が進行し、1988年導入、2000年に引退

という超短命な車両でした。キハ130形を置き換えたのがキハ40形350番台であり、

その写真がたくさん飾られていました。

 

 

鵡川駅舎。

これから廃止区間へ進んでいきますが、鉄道とバスの接続は決していいとは言えず、

1時間半あったため、近くの道の駅へ。

 

ホテルや温泉、イベントスペース併設というスーパーな道の駅へ。

 

ヤバそうなキャラクターが大売り出しされていました。

そうです、鵡川本物のシシャモの町。

 

鵡川駅東側、廃止区間の踏み切りだった場所に。

 

線路は切断され、立ち入り禁止措置がとられていました。

 

廃止代替バスは静内まで道南バスによって運行されています。

運行開始と共に買い揃えられたであろう三菱ふそうエアロスターノンステップバスです。

鵡川ではなく苫小牧始発で運行されています。

朝の静内方面への流動は考えられていないのか、9時59分発でこの日の始発です。

朝の始発便については次の町、富川始発で早朝に設定されています。

間で胆振と日高の国境を越えるのも関係していそうです。

 

乗車したバスは座席が半分埋まる程度にそこそこ乗っていました。

しかし乗車した位置が悪く、展望があまりできなかったため

沿線の写真は帰りの際に載せます。

 

バスはすでに線路に忠実ではなく、国道235号線をひたすらに走り、

まれに集落に寄るために小さい道に入っていったりします。

富川・門別といった比較的大きめの町ではしっかり乗降がありました。

 

 

鵡川駅から約1時間で最初の目的地、とある駅の跡地の最寄りに到着です。

 

 

大節婦バス停で下車。

有名スポットのため、同業者が複数人バスから降りました。

 

待合室があります。駅へは右下へ進んでいきます。

 

写真中央の車が止まっているあたりが駅の入口。

 

道をくぐった先、海沿いすぐに駅があります。

 

 

大狩部駅

駅データ

【駅名】大狩部 (おおかりべ)

【所属】JR北海道 日高本線

【所在自治体】北海道新冠郡新冠

【開業】1958(昭和33)年7月15日

【廃止】2021(令和3)年3月31日

【構造】地上駅 1面1線

【設備】無人

 

駅名標はすでに撤去されていました。

 

 

絶景かよ。

こんなところで列車を待ってみたかった。

 

駅全景。建物は待合室です。

道路が上に上がっていく一方、線路は急勾配を上れないためできるだけ平坦に

海沿いを走ります。あまりにも海沿いを走りすぎたために高波被害を受けて

路盤・護岸が流出したのがここ大狩部駅から隣の厚賀駅までの間。

現役時代の景観ももちろんだったのですが、日高本線廃線という現実を

如実に表しているのがこの駅なのです。

 

 

 

 

 

 

自然の力で線路がこうなってしまうのか。

その姿が被災から7年が経ってもそのまま放置されています。

 

 

平穏なときの風景とのギャップが凄まじい。

しかし平時でも波がぶつかり白波が立ちます。

この区間を確かに列車が走っていたのです。

 

日高本線は現役時代にぜひ全線乗っておきたかった路線でした。

学生の時に在来線をひたすら乗り継いで北海道に来た際、

後回しにしたのが悔やまれます。

 

安全のため線路がいつか撤去されても、

ここに駅があったという痕跡はこれからも残ってほしいと思いました。

 

 

日高地方はほとんどこんな地形。

海からすぐ台地のように出っ張った地形となっています。

道路ならともかく、鉄道はこんな勾配上れませんから、

海岸線ギリギリを走らざるを得ないことも納得です。

 

 

歩いて節婦の集落にやってきました。

 

大狩部駅跡から歩いて25分ほど。節婦駅跡。

背後には真新しい建設中の日高自動車道の高架が見えます。

 

ホーム・線路は草むしてしまっています。

待合室は新しく、2010年に建替えられたものでした。

 

とてつもなく暑かったので駅舎内で休憩。

鉄道から転換された代替バスの案内が。

静内より先はジェイアール北海道バスが担っています。

 

 

再びバスに乗車し、隣町の新冠へ。

駅でいうと隣ですが、道路が峠越えをするため歩くわけにはいきませんでした。

 

新冠は比較的大きな町で、大きな道の駅がありました。

道の駅サラブレッドロード新冠と、レコード館。

競走馬の町として知られる新冠。お馬さん情報がたくさんと、

円盤状の形をしたレコード館には懐かしいレコードがいっぱい。

 

そんな道の駅から少しだけ歩いたところに新冠駅はありました。

 

この柵がなければ、現役の駅に見えてしまいそうにきれいです。

 

新冠駅舎。「出会いと憩いのセンター」という町の施設になっています。

 

建物に何があるというわけでもないのですが自由に出入りでき、待合の椅子も利用できます。

 

 

あと一駅行けば静内だったのですが、バスの時間の都合でここで折り返しとなりました。

ロータリーに入ってきたバスに乗って鵡川方面へ戻ります。

 

普通のノンステップの路線バスですが、長距離を運行するため

ノンステップ部分にも2人がけシートが設置され着席定員を増やしています。

静内から乗ってきたであろう部活帰りの学生が多く乗っていました。

 

大狩部駅を過ぎた辺りの道路からの景色。やっぱり絶景。

線路はこのだいぶ下を走っていました。

 

そして草原が広がります。

 

馬を育てる牧場が、道路沿いにも数多くありました。

 

これまた絶景。

 

厚別川を渡ります。河口ぎりぎりを走る日高本線の橋梁がしっかり残っています。

 

昆布らしきものを干しています。

線路に昆布を干しているのか、

漁港を列車が突き抜けているのか、

そんな所も日高本線にはあったようです。

 

清畠~豊郷間の慶能舞川を渡る橋梁は流されてしまっています。

ここも海岸線ギリギリを走行する区間でした。

 

大型のドラッグストアやスーパーのある富川。

ここで私を残して乗客は全員下車。

ここから貸切となりました。

やはり乗客の流動は振興局を跨ぐと少なくなるのかもしれません。

 

鵡川までの途中、『日胆国境』というバス停がありました。

まさに国境を越えてバスは運行されています。

 

続いて『門別競馬場』、『軽種馬レーニングセンター前』。

馬! バス停が馬の関係から離れんのよ! (cv:ノブ)

 

 

 

 

鉄道廃止は惜しいけれど、バスで十分交通がまかなえていることもわかりました。

 

バスは自分一人だけを乗せて鵡川駅に帰ってきました。

バス上り便の午後は鉄道に任せた!といわんばかりに鵡川止まりです。

それでも接続はよくなく30分以上鵡川駅で待ちました。

 


15時12分発の苫小牧行き。

朝とは違う車両。『道央 花の恵み号』。沿線活性化を目的としたラッピング車両。

 

ラッピングだけでなく座席にも木が使われています。

乗客のほとんどが乗り鉄目的で、到着した列車から出てきた人たちがそのまま折り返し乗車していました。

鵡川までじゃわからんよ、日高本線はそこから先よ!と思いました。

 

苫小牧~鵡川の利用状況も決して良いわけではなく、いつまで残るかわかりませんが、

日高本線の名前は消えてほしくないなと思いました。

乗って残そう日高本線

 

 

さて、ここまででボリューム満点ですが、この日の旅はまだまだ続きます。

次回に持ち越しますが、前日に行きそびれた室蘭へ。

もうじき置き換えとなるあの車両についてもピックアップします。

お楽しみに。

 

 

 

 

 

※最後に。

大狩部駅に行ったとき、同業者が一緒に降りたと書きました。

彼ら彼女らは、あのグニャグニャになった線路の上を歩き、

見えなくなるほど線路上を奥へ奥へと進んでいきました。

線路だった鉄の塊の上に乗って写真を撮っていましたが、

なんかそういう場所ではないなと思いました。

第一、廃止されたとはいえJRの敷地。波打ち際で危ないし。

若者もいたけどけっこう歳いったのもいたぞ。

ちょっと悲しい気持ちになりました。

廃線跡巡りというのはどこまでがグレーでアウトなのかわからないけど、

少し考えさせられました。

 

という後書きです。